浅草に響く民謡の調べ。民謡酒場「追分」の魅力とは?

若さと伝統の火花散る
「うた」の酒場

民謡酒場とは

浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分

「民謡酒場」をご存知だろうか? それは、かつての吉原の地に生まれ、津々浦々の民謡を今も歌い継ぐ酒場。高度経済成長期の真っ只中、上京した若者たちの郷愁を癒し隆盛を誇りつつも、今は数を減らし浅草界隈に数店が残るのみとなったが、残る店々は根強いファンと演奏家の熱気で、今もなお活気を帯びている。今回の江戸のぉとは、そんな「民謡酒場」の中でも草分的な存在である「追分」にスポットを当ててご紹介する。

創業昭和32年、民謡酒場「追分」の歴史と今

雷門をくぐり、浅草寺の本堂を背に花やしきを通り抜け、その足で言問通りに出て吉原の地に向かえばその店はもう目前。夜道を照らす数個の赤提灯が、ステージの熱量を仄かに予感させる。店の名前は「追分」。

「追分」の発祥は昭和32年。東京に現存する最も歴史のある民謡酒場だ。

「大女将のお兄さんが、江差追分(北海道の民謡)の名人である二代目浜田喜一先生と一緒にお店を開いてから、追分の歴史が始まりました。当時は集団就職で上京してきた方たちが、故郷を求めて民謡酒場をはしごする時代。大女将は21歳の頃から民謡酒場を切り盛りして今に至ります。」と若女将の服部章代さん。

浅草 民謡酒場 追分太鼓の伴奏をする若女将の服部章代さん
浅草 民謡酒場 追分

「今の建物のかたちになってからは30年ほど経つでしょうか。それまでは1階でステージと客席を設けて営業していて、2階では住み込みの演奏家達の方たちが住んでいました。」

追分には、常時10名を超えるプロの演奏家やプロを目指す演奏家たちが在籍する。民謡界の登竜門的存在であり、多くの芸人達がここで育ち巣立っていった。今や全国的に名の知られた「吉田兄弟」の兄、吉田良一郎氏もこの店で修行した演奏家の一人だ。

浅草 民謡酒場 追分津軽三味線の奏者が並び、一同に演奏するステージは圧巻
浅草 民謡酒場 追分

「創業当時はこの界隈にもたくさん民謡酒場があったのですが、今も残っているお店は数件だけですね。」

浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分

追分のステージは、毎日おおよそ19:00と21:00の2回、ライブハウス形式で行われ、迫力のある生音演奏を食事とともに楽しむことが出来る。そのレパートリーは、100曲を優に超える。

「毎回のステージは、基本的に民謡から始めて、踊り、銭太鼓、津軽三味線の流れで大体40〜45分くらいで構成しています。民謡は、その日にいらしたお客様の出身のうたを出来るだけ演奏するように心がけています。」

浅草 民謡酒場 追分「銭太鼓」で魅せる安藤龍正さん
浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分

「外国からお客様が来ることも多く、そんな時は花笠音頭、東京音頭、ソーラン節などの(有名で分かりやすい)「手拍子もの」をやるようにしています。掛け声をかけやすい曲等は特に、楽しんでくださるお客様が多いですね。民謡に詳しい方もいらっしゃって、80歳を超えるインドご出身のお客様がご自身で歌われることも。年齢が若い方も結構いらっしゃいますね。」

浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分

演奏の後には、店自慢の芸人たちが接客を兼ねることも追分の魅力のひとつ。気取らず親しみやすい面々が揃うが、実はこの彼ら彼女らの経歴が凄い。日本各地で行われる民謡、踊り、演奏の全国大会におけるチャンピオンや入賞者がズラリと揃い、ひとたび舞台に上がればその迫力のある姿で観るものの度肝を抜くのだ。

浅草 民謡酒場 追分どじょうすくいを踊る安藤龍希さんも幼少の頃から民謡に親しんできた若者のひとり。兄の龍正さんとともに、全日本チャンピオンのタイトルを獲得した経歴を持つ。

「お店のみんなのほとんどが、幼少期から民謡や音楽の世界に触れてきた経歴の持ち主。親御さんやおばあちゃんに民謡とのご縁があったという人が多いですね。お店だけでなく、テレビやラジオ、舞台に出て活躍しているメンバーも多いんですよ。」(若女将)

創業から約60年という長い歴史の中で、近年では演奏の楽しみ方も徐々に変わってきているという。

浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分

「当時は民謡や踊りがメインで、お客様とみんなで民謡を歌ったりして楽しむようなお店でしたが、今は津軽三味線の演奏がメインになっています。三味線の演奏が増えだしたのは、吉田良一郎くん(吉田兄弟の兄。追分に18歳の頃から住み込みで働いていた経歴を持つ)がデビューしたくらいの頃から。それ以前は「津軽三味線、待ってました!」という感じではなく、おまけのように2人で曲弾きをするくらいだったのですが(笑)、今は一晩で3〜4人、多くて5人で弾くようになりました。現在、私を抜かしてメンバーが12人いるのですが、そのうち10人が三味線の演奏家です。三味線ブーム以降は、若いお客様も多くいらっしゃいますね。民謡を知らなくても、三味線の演奏を聴きたくていらっしゃる方が増えているかもしれません。」

浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分

演奏家の平均年齢は若く、20代中盤といったところ。舞台における津軽三味線の演奏は、さながらジャズのように、合奏のパートと即興が織り成す独奏のパートで構成される。激しさ、力強さ、スピード感、独創性、時に顔を出すユーモア。独奏の時間は、それぞれの演奏家の個性が光る。

古き「うた」を継ぎながら、若い世代も楽しめる「新しい舞台」を提示し、未来ある若き演奏家たちが「伝統」に挑み「芸」を磨く。民謡酒場「追分」は、楽しく過ごす「うた」の酒場であると同時に、若さと伝統が出会い火花を散らすクロスロードなのだ。

そして、その酒場は多くの若い才能を日々育て続けている。三味線ブームの火付け役となった吉田兄弟をはじめ、あべや、椿正範、その他民謡界の第一線で活躍する多くの演奏家たちが「追分」での修行を糧に、続々とその挑戦のステージを広げている。

浅草 民謡酒場 追分

50,000曲を超える「うた」を継ぐ、広大なる民謡の世界

最後に、若女将にあらためて民謡の魅力を聞いてみた。

「生まれ育った環境や故郷を思い出せるところ。民謡でうたわれるのは、生活の中で生まれた祝い歌や、つらい仕事を「うた」で紛らわすような作業歌(農民、漁師、木こりがその作業時に歌い継いできた唄)がほとんどで、作詞者や作曲者もほとんどわかりません。その国固有の訛りが感じられたりするのも魅力のひとつだと思います。」

祝い歌として生まれた「黒田節」、漁師の作業歌として生まれた「ソーラン節」、その他幾代もの人々に寄り添い継がれてきた「うた」の数々。誰かひとりの作品ではなく、それぞれの土地が生み育んできた「うた」たちの世界は広大だ。

「(民謡のうたは)もっともっと、何千も何万もあるんです。まだ発掘されていないもの、広く知られていないものを掘り起こせばきりがないくらい。」

昭和62年(1987年)の調査によると、現存する民謡の数はおよそ58,000曲に登るという。膨大なデータベースを源泉に、大切に磨かれたひとつひとつの「うた」を、是非とも生音で、そして全身で堪能してもらいたい。

(撮影/松田麻樹 文/江戸のぉと編集部 取材:2017年)

浅草 民謡酒場 追分
浅草 民謡酒場 追分

店舗DATA

民謡酒場 追分[みんようさかば おいわけ]

住所:東京都台東区西浅草3-28-11
電話番号:03-3844-6283(受付17:00~23:00)
アクセス:浅草駅2番出口より徒歩7分
営業時間:17時30分~23時
定休日:月曜日

ホームページURL:http://www.oiwake.info/

※民謡酒場「追分」は、2018年12月19日に61年の長い歴史に幕を閉じ、閉店いたしました。

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長唄三味線方 穂積大志さん

時が磨き、
無駄を削ぎ落とした美しさ
を伝えたい。

現在、三味線演奏家として国内をはじめ海外でもご活躍されている穂積大志さん。

和楽器の持つ伝統芸能のイメージからすると意外にも、過去にSE(システムエンジニア)としてのご経験を持つ異色のキャリアの持ち主。

少年時代からの夢だったという楽器演奏に、プロの演奏家として携わるまでのエピソードをはじめ、現代において三味線に触れ、楽しむためののヒントをうかがいました。

「楽器を弾きたい」と夢を抱いた少年時代

ー幼少期から三味線に馴染みがあったのでしょうか?

それが、全く無かったんですよね(笑)。

後になって、温泉街(福島県二本松市)に住んでいた祖父が、そこの芸者さんが弾く三味線が好きだったという話を聞いたり、母が娘時分にことを弾いていたという話を聞いたりはしたのですが、私自身はその姿を見たことも無く、子供の頃に和楽器との接点は全く無かったんです。

少年時代の三味線の思い出を語る穂積大志さん

ただ、「楽器を弾きたい」という夢はずっと持っていました。

子供の頃には、なかなか自分で楽器を買ったり習ったりすることも出来ず、楽器に触れる機会もあまりなかったのですが、大学で箏と三味線と尺八の演奏をしている箏曲そうきょく部に所属するようになったんです。

そこでは、主に上方かみがたを中心に発展した三曲地歌箏曲じうたそうきょくを弾いていました。

三曲:地歌三味線(三弦)、箏、胡弓の三種の楽器の総称。またはそれらの音楽である地歌、箏曲、胡弓楽の総称。後に尺八が加わった。

ー和楽器を選んだ理由は?

楽器を弾きたいという想いはずっとあったのですが、今さらピアノやギター、ブラスバンド等で経験者に混じるのもどうかと思っていたところ、大学の箏曲部では大学で初めて楽器に触れる初心者がほとんどだったので、入りやすかったところもあると思います。

棹を動くなめらかな手の動きは指掛のおかげ

三味線は、棹を持つ手を滑らかに動かせるように、指掛(指すり)と呼ばれる布を親指と人差し指の間に付けて演奏される。

ー三味線に触れて魅力に感じたところは?

やはり「サワリ」に代表される特徴的な音色でしょうか。例えば西洋の弦楽器だと、他の楽器とのアンサンブルやハーモニーを優先して、楽器から出るノイズを消すことを追求する志向がありますが、三味線の場合は意図的にノイズが付くように設計されています。

同じような構造は琵琶等にも見られますが、「サワリ」により倍音を増幅し「音が立つ」工夫がされているのです。

サワリ:演奏時に、「一の糸」(三本の弦の中で最も太い弦)が三味線にかすかに触れながら振動することで生み出されるノイズのこと。

三味線特有の音サワリを生む天神と呼ばれる部分

「天神」と呼ばれる三味線の最上部。「上駒」(ギターでいう「ナット」にあたる部分)を「一の糸」と三味線の間に置かないことで、演奏時に「一の糸」と三味線をかすかに触れ合わせ、三味線独特の残響音(「サワリ」)を生み出す。

また、奏法も非常に特徴的で、弦楽器の要素と同時に打楽器の要素が合わさったところがあり、他の楽器には見られないその音の魅力は、もっと世界にアピール出来るものだと感じています。

撥で「胴」を叩きながらの演奏

三味線は、ばちで「胴」に張られた皮を叩きながら演奏される。写真は、地歌で使用される大型の津山撥を構えたところ。

【三味線豆知識】
小さな鞄で持ち運びも。
三味線の分解、組立ての様子

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