SEから転身。プロ奏者の道へ
ープロの演奏家としての道を選ぶ前に、SEとしての経験をされたそうですね。
社会人として何年かは、SEとして働きながら趣味として三味線を続けていました。
ちょうどITバブルの時期だったので、お給料も良かった反面、月200時間の残業も珍しくない時代。
一日中コンピューターの前にいて終電近くに家に帰る生活の中で、帰ってから少しでも三味線を弾いたり、週末にリハーサルや演奏活動をしたり、仕事のことを完全に忘れられる時間を作ることで、身体の疲れとは裏腹に、逆にリフレッシュ出来たんですよね。気持ちの切り替えが出来たというか。
その経験は、今生徒さんと一緒にお稽古をするときに役立っていると思います。仕事を完全に忘れて15分でも30分でも三味線に没頭出来る時間を設けることで、「癒し」というと大げさかもしれませんが、少しでも気分転換になれば。そういった時間を生徒さんに提供できることは、この仕事をしていて良かったなと思うことの一つです。
ープロへの道を考え始めたきっかけは?
ある時から三味線の可能性をより追求したいという気持ちが大きくなり、毎年3月に行われる「日本音楽集団※」のオーディションを受けたんです。その時は、趣味で演奏しているレベルでいきなりオーディションを受けたので落ちてしまったのですが、日本音楽集団の当時の代表から、三味線奏者で当時の理事を務めていた、簑田司郎(杵屋五司郎)さんの門を叩いてみたらどうかと、現在の師匠を紹介していただいたんです。
それから杵屋五司郎先生にお会いして、三味線をこんなに自在に操れるものかと感動を覚えました。そこでプロを目指す覚悟を決め、まだ入門前ではあったのですが、SEとして勤めていた会社に辞表を出したんです。
日本音楽集団:1964年に発足以来、新しい邦楽のあり方を求め続け、これまで世界31カ国151におよぶ都市で公演を行い、海外でも高い評価を得る。1967年芸術祭奨励賞、1970年芸術祭大賞、1971年芸術祭優秀賞、1978年第2回音楽之友社賞、レミー・マタン音楽賞、1988年松尾芸能賞特別賞、1990年モービル音楽賞をそれぞれ受賞。
日本音楽集団HP:http://www.promusica.or.jp/
ーかなり大きな転機であるのにもかかわらず、即決断されましたね。
三味線でプロを目指す以上、会社員をやりながら、というわけにもいかないなと思ったんです。
杵屋五司郎先生からは、まだ25歳だし30歳までには何とかモノになるかもしれないから、藝大(東京藝術大学)を受験してみてはどうか、というお話をいただきました。
そこでその年の5月から約一年間、まずは藝大合格を目指して稽古を重ね、その後、藝大の専門課程で2年学び、東音会※の研修所で3年学んで、順当に行けば30歳にはプロとして活動出来るという明確な道筋を示して下さったんです。
東音会:「長唄東音会」は、1957年に東京藝術大学の教官と卒業生を中心として結成された演奏団体。同人は同人たる高度な技量が要求され、藝大卒業後、研修所で所定の研修を修得し、理事会の審査を経てはじめて東音会同人として迎えられる。
東音会HP:http://www.touon.com/
藝大時代に、コンクールで優秀賞を受賞!
杵屋五司郎師匠の門を叩いて約2年目、長谷検校記念・くまもと全国邦楽コンクールで優秀賞を受賞した時の演奏を収めた映像。熊本城内旧細川刑部邸にて。
「通常は入れない場所なのですが、コンクールで受賞した人だけお屋敷を舞台にして演奏させてもらえる特典が付いていたんです。賞をいただいて、お屋敷で弾かせてもらって、あれは嬉しかったですね。」(穂積さん)
「地歌三味線」「長唄三味線」それぞれの特徴
大学の箏曲部で地歌三味線に出会い、現在は長唄の三味線方として活動している穂積さんに、それぞれの三味線の特徴をお聞きしました。
「まずはバチの大きさですね。地歌のバチは大きくて先が薄く、バチ先のしなりを生かしてはんなりと弾くことを目的としているので、激しい動きや細かい動きをするのには、あまり向いていません。地歌では演奏される曲もバチに合わせたゆっくりとしたものが中心になります。
長唄で使われるバチはそれと比べると小さく、細かい動きや、複数の奏者で演奏する際に向いています。
長唄は主に歌舞伎の伴奏として発展したため、歌舞伎座という劇場に適した音楽であるのに対し、地歌は室内楽としてお座敷での演奏に適したものなので、それぞれの方向性は全く違うんです。」