長唄三味線方 穂積大志さん

プロ奏者として目指すもの

三味線について話す穂積大志さん

ープロの三味線奏者としては、どんなお仕事があるのでしょうか?

長唄三味線方としての収入源は、稽古場の運営、日本舞踊(歌舞伎舞踊)の伴奏、歌舞伎の舞台の下座音楽、長唄の演奏会への出演、あとはホテルやレストランなど、各種イベントのために依頼される演奏もあります。

一方、自主的な演奏会もあるのですが、基本的には持ち出しで運営して開く演奏会なので、収入にはならないんです。自分の音楽的な研究や技術向上のためにやっているんですね。

ー同じ長唄三味線の曲でも、演奏する場面によって全く異なるものになるそうですが。

踊りのために弾く場合と演奏会で弾く場合だと、同じ曲でもテンポが全く違います。

例えば、(西洋の)クラシックでも、舞台のダンサーに合わせて演奏するのと、お客さんに向けて演奏するのだと、同じ曲でも全然違いますよね。踊り以外だと、寄席の出囃子でも長唄の合方がよく使われますが、その場合は噺家さんが歩いて舞台に出て来やすいように、どれも同じテンポで弾く必要があるんです。

合方:唄を伴わず、三味線だけで演奏される曲の一部を指す。『吾妻八景』の「佃の合方」、『秋色種』の「虫の合方」等、その旋律が想起させるイメージを表す名前が付けられていることが多い。

実際に弾いてくださいました

ー長唄の魅力とは?

長唄には、150年〜200年くらい前の江戸時代から残ってきた曲が多いのですが、そうやって残ってきた曲って、やっぱり考えてみると凄いんですね。

当然、その同時代には、それよりはるかに多くの失われた曲も存在していたわけですが、それを現代に置き換えてみても、この先百年残るものが何曲あるか。

そう考えると、今演奏されている曲というのは、世代と関係なく残ってきたかけがえのない芸術音楽であり古典作品なわけです。

時代に洗練された無駄の無い道具

そうして残ってきた曲に共通して言えるのは、「無駄が無い」ということ。曲の中で一見して冗長に思われる部分でも、それがあってこそ、その後の展開が成立しているんです。

茶道や日本舞踊の所作などにも共通することですが、そこには、時代のなかで洗練され、一切の無駄なものを省いた結果として生まれる「美」があります。無駄を排除することで、全ての動きが自然に流れ、見た目にも美しく、結果的に出る音も美しくなるんですよね。

私は、そこに芸を追求することの一つの真理というか答えがあるんじゃないかなと思っています。

長唄三味線の奏者としては、その魅力を伝えられたら良いなと思って活動しています。その曲をどう解釈し、いかに伝えていくかという場所が、丹精込めて本番に臨む演奏会であったり、生徒さんとのお稽古の場なのだと考えています。

穂積大志さんの稽古場

穂積さん主宰のお稽古場の様子(目黒教室)

ー穂積さんが目指す良い音、演奏とは?

なかなか答えが出ないから続けられるんですけどね(笑)。だんだん欲も出てきますし、以前より今の方が良い音が出ているんじゃないかと思いたいのですが、自分が音を追求するのと同時に耳もまた肥えてきます。そうすると、もっと良い音を出したい、コンスタントに良い音を出し続けたい、という風に段々目標も高くなっていきます。

今から十数年前のことですが、フランスで尺八と箏と三味線の三重奏で公演を行った時に、「尺八は風の音、箏は木の音、三味線は石の音をイメージさせる。まるで日本の風景が見えてくるようだ」という感想をいただいたことがあるんです。その時、和楽器が日本の自然や風景を音で表現することに適した楽器であるということに気づかされ、もっとこの楽器の魅力を引き出すような演奏がしたいと思うようになりました。

まだまだこれからだとは思っていますが、一人でも多くの方に三味線の音に触れていただき、喜んでいただければ、それが舞台人としては一番嬉しいことだと思います。

(撮影/松田麻樹 文/江戸のぉと編集部 取材:2016年)